戦場に心を残してきた者たち

 日本テレビで戦争報道反省会(?)のような番組をやっていた。
 元アメリカ従軍記者二名と、元バグダッド駐在記者二名、その他大勢が出演していた。
 まず、アメリカ側とイラク側では、記者の環境が違っていた。
 元アメリカ従軍記者は作戦の遂行に支障がなければ、取材の制限は(私が思っていたより)なかった。
 だがバグダッドでは、イラク情報省の監視の目が光っていた。
 そもそもバグダッド自体、戦場であった。
 それでも二者に、共通していた姿勢というものがあったようだ。
 できるだけ多角的で、実際に現場で見たものを報道するという姿勢だ。
 ただこの時点で報道といっても、テレビ局に取材の成果を送信する、ということになる。
 テレビ局ではそれを編集し、番組で放送する。


 この検証番組を見て気がついたことがある。
 記者と、放送局のスタッフとの温度差・違和感みたいなものだ。
 さて、それはなぜかと考えてみると、現場の記者と日本テレビのスタッフでは、それぞれに置かれた立場が違っているということに気がついた。
 記者は戦場(の一部)を見据えて、映像をテレビ局に送信した。
 テレビ局では視聴者を見据えて、番組を放送した。
 つまり記者は戦場を見てほしいという姿勢で映像を送っていたが、放送局では戦場・バグダッドと記者が、視聴者にどのように受け止められたか関心を持っているのだ。
 戦場に送られた記者たちは日本に帰ってきていても、局側の編集員と姿勢の違いが変わっていないように見受けられた。
 どこかまだ、記者たちの気持ちはイラクの中に留まっているようであった。