小学生や中学生の頃に、写生大会があった。私はこれが全くダメで、絵を書くのも下手だし、何を描いていいものかわからない。散々歩き回ったあげく、描くものが少ない場所を選んだり、雲を描いて提出していた。
 他人にはできることなのに、なぜ自分にできないのか。それが惨めでもあり、かといって直すプログラムもなく、うまく説明(釈明?)できないことに私は苛立ちを感じていた。
 今日家族にそのことを話していると、ちょっと整理がついてきた。
 何を描いていいのかわからない、ということがまず苦しかった。写生大会のとき、「これ、いいな」と思うものがあっても、すぐにそれを描かなかった。その前に、「それを時間内に描きあげられるか」ということを考えた。私は写生大会のタイムリミットが、大嫌いだったのである。
 あともう一つ。私の芸術に対する姿勢が、知らないうちに定まっていたようなのだ。最も良いものを求めたい、という気持ちだ。
 しかしこの姿勢では、納期が邪魔になってくる。最も良いものを求めるか、タイムリミットを優先するか。私は今でも、この手の折り合いをつけることが苦手である。
 ただ、世の中こんなことばかりで動いているわけではない。私は仕事をしているし、多人数のゲームも時々やっている。これらのことをこなしている時に、葛藤しているわけではない。
 例えば仕事だったら状況に合わせて臨機応変に行動するし、ゲームだったら目的に向かって、手持ちの資源を十分に生かすということを心がけているのである。
「最も良いものを求める」か、「臨機応変に、資源を生かす」か。少なくともタイムリミットに強いのは、後者の方だ。
 写生大会のときは時間を資源として考え、できそうな場所を何ヶ所かチェックしてすぐに座ればよかった(もっと他の方法もありそうだが…)。ずいぶん遅い反省会である。
 でもこれは無駄ではないような気がする。
 実は私は悩みを持っていた。ゲームブックを書きたいと思いながら、なぜ書き始めようと思わないのだろうか、ということである。
 私は「最も良いものを求め」ようとしていた。これは決して悪いことではないが、いつになったら出来上がるのかわからない。それと同時に「目的に向かって、臨機応変に、資源を生かす」ことをやっていこうと思う。まずはできることから、やっていくとするか。