ゲームのおもしろさ

 著者はゲームのおもしろさを、学習の喜びに置き換えて説明しています。

知覚を遮断してしまう入れ物に人間を閉じ込めてみると、一瞬にして強烈な憂鬱を感じるようになってしまうことがわかっています。
この事実は、脳が必然的に新しい「体験」を欲していることを意味しているわけではありません。新しい「データ」だけを欲しているのです。新しいデータはどれも、単にパターンを実際に試してみる必要性から求められています。新しい体験は脳にとって全く新しい仕組みを押し付けるかもしれず、かえって脳はそれを「嫌う」ことも珍しくありません。
つまるところ、これこそが、ゲームとは何かの答えになります。つまり先生(教える人)えす。おもしろさとは単に、学ぶことの別名なのです。

「データを欲しがっている」というのはなかなか興味深い指摘だと思いました。