日本のSF50年

 昨日のETV特集で日本のSFの歴史を取り上げていました。
 私はSFに詳しくないのですがなかなか面白そうなテーマです。
 おおよその内容はこちらです。
(以下敬称略)

 1956念に日本空飛ぶ円盤研究会が設立し、(後の日本SF作家クラブ
 宇宙塵という同人誌の成立から1959念にSFマガジンが創刊。

 江藤淳がSFを批判し、そこから日本SF作家クラブが成立。

 日本SF作家クラブは活動領域を広げる。
 1963年の「マタンゴ」(原案星新一福島正実)で円谷英二とのパイプができて、UNBALANCE(後のウルトラQ)を制作。

 アニメではエイトマンにかかわった平井和正豊田有恒に脚本依頼。
 エイトマン放送終了した後、虫プロにスカウトされた豊田は「イルカ文明の巻」で最高の視聴率を稼ぐ。

 学習雑誌では筒井康隆の「時をかける少女」や眉村卓の「なぞの転校生」が連載され、後にNHKでドラマ化される。

 米ソ冷戦から、科学者とともに未来学研究会(後の日本未来学会)を設立。

 1970年の大阪万博日本SF作家クラブのメンバーが協力。
 この時期国際SFシンポジウムが各地で開催され、英米ソの職業SF作家が来日。冷戦国家間の作家が初めて顔をあわせる。

 高度経済成長期に日本SF作家クラブの活動が鈍くなっていく。
 しかし日本SFの遺伝子は受け継がれている。
 とまぁ適当に抜き書きしてみました。
 ちなみになぜSFは衰退したのかというところはほとんど触れませんでした。まぁ、色々とありますね。

 色々な作家の興味深い発言があるなか、小松左京のきっかけが面白かったので引用します。
 子供の頃にこんな質のいい読み物に触れられたら、大いに影響を受けるでしょうね。

戦争というものを経験しなかったら僕はSFに行かなかった。
昭和16年大東亜戦争が始まったのはご存知でしょう。
その頃1月から12月までの間に大阪毎日新聞で小学生毎日が出ていて
北村小松さんという日本人の作家の「火」という小説があったのです。
だんだん話が展開していくとスパイだということが分かるのです。
まだ開戦していないですけどアメリカ・イギリスと日本は一触即発です。
何を調べているのですか? と聞いたら原子爆弾というものを調べていると
どんなものですか? と聞いたらマッチ箱ひとつで富士山が吹っ飛ぶと――
さすがにこれは透明人間とか超現実的なものだと思ったら
それから4年後に日本に2発も落っこちるでしょ。
それでやっぱり科学というものを 仮に戦争もの 歴史もの それから一種のスリラーを書くとしても
科学の新しい発展というものを調べていかないと人の知らないようなトリックは出てこないだろうと
それでSFというものに 非常に興味をもったのですね。