脳で考えているはずなのに胸に手を当てたりするのはなぜだろう。
 あと「自分」というものの根源は「免疫システム」だ、なんて説もあったような気がする。この説はどこに行ったんだろう?
 まぁ、それは置いといて。
 私が小学生のとき、同級生にものすごくかわいい子がいて、私は彼女に特別の好意を持っていた。
 しかし私の心に抵抗感があった。人を好きになるって、なんなんだ。この子のために身をささげることはできるのか。
 私はその子が本当に好きなのか、真剣に考えるために一つのお題を出した。それは「この子の表皮がめくれて理科室の人体模型状態になっても、やっぱり好きなのか」ということである。
 私の答えは「いいえ」だった。外見を取り除いて考えてみると、私と彼女とは考え方も行動様式も違っていて、偏狭なこどものころの私に受け入れにくいものだった。
 私は昔からどうでもいいこだわりがいっぱいあって、それが精神的な幼さであったような気がする。(いまでは「どうでもいいこだわり」についてはできるだけ捨てるように心がけているが、他人からはいまだに「頑固者」だと認識されていると思う)
 だれかに「初恋はいつか」と訊かれたときは、小学生の頃だと一応答えている。ただ心のどこかに引っかかりがある。想像の中で服を脱がせるなら性の目覚めとして認知されるかもしれないが、表皮を剥いたとなるとシャレにならない。
 ただ他者の認識が「皮」にある、と考えたのはいいセンスだったかも、と一応自分で自分のこどものころをフォローしておく。