プロットと共感

 ハリウッド脚本術2の、ちょっとびっくりした部分。

たとえば、映画においてもっとも人気があるジャンルのひとつはおとぎ話*1だ。事実、映画史上もっとも商業的に成功した作品「タイタニック」が、そのような驚くべき業績をあげた一因は、<これが起こった>ゆえに<あれが起こった>式のプロットが要求されなかったという事実にある。
全ての登場人物は明白に善人か悪人だ。「タイタニック」の背景をなす重大な悲劇的事件にもかかわらず、少年と少女の不運な恋愛は、どこの誰でも共感できるもので、このストーリーと一体化することで我々は自らの過去の悲恋に<納得>のいく威厳を与えることができるのだ。

 ゲームでは、"<これが起こった>ゆえに<あれが起こった>式のプロットが要求され"るんですよね。ゲーム好きの視点でこの文章を読んでいたのでびっくりしました。
 おとぎ話が好きな人にとっては、共感できないものをつまらないと思うのでしょうね。そうなると登場人物のないゲームをつまらない、理解できない、という感想を抱くのも不思議ではないです。単純化・抽象化されたゲームには、美しいと感じるところがあるのですが。
 ふと考えてみたのですが、ワンスアポンアタイム*2というゲームに、登場人物をつけても面白いかもしれません。さらにエンドカードを廃止して、勝利条件をカードにするなんて考えていると、全く異なるゲームになるのですが。