編集は遊びから生まれる

「知の情報術」を読んでいる、と以前書いた。
 今改めて読み直しているところだ。
 この中に、遊びについて裂かれている章があるので紹介する。

子供遊びの基本形は三つのパターンに分かれる。「ごっこ」型*1、「しりとり」型*2、「宝さがし」型*3である。この基本型は情報の編集のしかたによって分かれている。

*1:ごっこ」型の特徴は身ぶりや口ぶりを真似るだけではなく、段取りも真似るし、できばえの比較のしかたも真似るところである。さらに興味深いのは大人の社会がもっている優劣関係を踏襲したり、失敗のパターンをも踏襲することだ。また「ごっこ」では空間の見立てや道具の見立てが細部にわたっておこっていることも注目される。

*2:「しりとり」は言葉尻をつかまえて情報を連鎖していくゲームである。が、必ずしも言葉尻だけではなく、メンバーが次々に特定ジャンルの名称を言いつづけるという遊びもふくまれる。この遊びで注目すべきことは、相手が発信した単語情報をうけとめ、これをなんらかの関連性を保持しながら次に渡していくということである。つまり、情報が一定の連鎖をつくりながら編集されている。つまったら負けである。アタマの中で思い浮かべるものがなくなったということが、すぐ自分でわかる遊びなのである。この「しりとり」の発展型は「連想ゲーム」(伝言ゲーム)になっていく。

*3:「宝さがし」型は、宝物が埋められたマップをもとに、さまざまなオリエンテーリングが進む。複数のメンバーがそれぞれ知識の断片をもちよるところがミソになる。そしてだんだん目標が決まっていく。そこが編集的なのである。もともと「宝さがし」の祖型は「隠れんぼ」にある。この遊びの捜す役割の一人にはすべての情報が隠されているが、そのかわり鬼には「見えている世界」というマップが与えられているところが編集的だ。両者ともそれを手がかりに情報を捜し出すというゲームになっている。しかも参加者は「隠れんぼ」をする遊び場の空間的特性を知っていることが一定の条件である。それがマップ性である。この「隠れんぼ」における情報(逃げ手)をオープンに明示したまま遊ぶと、いわゆる「鬼ごっこ」になっていく。