やり取りから物語へ

"ゲームにおける「物語」への物語論からのアプローチ ―東大ゲーム研究プロジェクト"から
http://www.rbbtoday.com/news/20041101/19380.html

明治学院大学の増田泰子氏は、東京大学ゲーム研究プロジェクトの定例研究会で、『ゲームプレイ経験の意味』と題した発表の中で、物語論から見るとゲームは演劇に近いと指摘、ゲームの物語性はシナリオ自体にあるのではなく、ゲーム経験をプレイした人が語ることによって物語になるという考え方を示した。

「ゲーム経験をプレイした人が語ることによって物語になる」というのはわかるが、演劇に近いといえるのかは保留する。各役どころに目的や判断基準・能力とその限界・ルールなどが加味されればゲームは成立し、また物語らしさも成立すると思う。*1
 イメージとしては、RPの薄い人狼。参加者各々の行動とその影響によって、たとえRPが薄くても十分物語として成立する。かけひきなどの"やり取り"をしている間は当事者であり、夢中になっているが、一旦ゲームが終了して、経験を語る段になると、それが"物語"になっているという。そういうところに、ゲームと物語の境界があるのかもしれない。一定の段取りを踏まえれば、ゲームと物語の境界は壁や溝のような障害になることがなく、ゲームと物語は地続きになっているのではないだろうか。
 ほかにも先日出版された「電車男」にも近いところがある。掲示板の"やり取り"が終わって、まとめサイトができたあたりからぼちぼち"物語"に移行していったのだろう。
 まぁそう考えると、ゲームブックではマップや冒険記録紙が、ゲームから物語へ移行するきっかけになるのかもしれない。
 古本のゲームブック、それもすでに読んだことのあるそれを手にとったとき、私は冒険記録紙をのぞくことがある。なんとなくやってきた習慣だと思っていたが、前の持ち主の物語を想像していたのかもしれない。

*1:背景や世界観も付け加えなければならないだろうが省略する