ゲームを遊び続ける原動力は何か

 なぜゲームを遊び続けているのか、卒業しないのかと尋ねられたら、なんと答えようか。
 面白くて飽きないとか、暇つぶしにもってこいとか、いろいろと思いつく。
 しかしここは、自分の意思で遊んでいるのか、自分の意思とは関係なく遊んでいるのかということに注目したい。
 どうやってこの違いを見極めるかというと、プレイヤーが自分の意思でゲームを止めることができるか、ということである。
 自分の意思でやめることのできるゲームは、わりと健全なゲームだと認識されやすい。
 良いかどうかは別として、商品としてゲームを作るときは、面白くて、ちゃんと一区切りがつくゲームを心がけるべきであろう。(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030529#p3
 MMORPGが非難を受けやすいところは、プレイヤーの意思でゲームを止めるきっかけが少ないところにある。
 理由の一つは、区切りがつきにくいところだろう。
 そしてその他にも、理由がありそうだ。
 それについて詳しいサイトがあるので、紹介することにする。(http://lovelove.rabi-en-rose.net/usada4.php

20030415

MMORPG の最も画期的だった点は、それが自己満足システムではなく、自己顕示システムだった、という点にある。

オフラインのゲームは、スコアアタックのような要素を持っている場合を除けば、基本的に全ての結果が自己満足に過ぎない。キャラクタがどれほど強くなろうと、あるいはレアアイテムを手に入れようと、それは他人にとっては全くどうでもいい話であって、それを自己顕示の手段とするのは、不可能ではないが、非常に難しかった。

しかし MMORPG は違う。MMORPG における強いキャラクタやレアアイテムの所持は、例えそれが膨大な時間の投入によって得られただけの無意味な数値だったとしても、「社会的成功」であり、他人を出し抜いた結果であり、他人の羨望や嫉妬を集める手段、つまり自己顕示手段そのものとなる。これは意識するか無意識であるかに関わらず自動的にそうなる。ここに「人間に快楽を与えるシステム」としての、MMORPG とその他のゲームの決定的な差が存在する。つまり、通常のゲームでは何をやってもせいぜい自己満足パターンでしか麻薬が得られないが、MMORPG ではそれに加え、自己顕示パターンで強烈な麻薬が得られる、ということだ。この差は計り知れない。

自己顕示はそもそも、MMORPG においてだけではなく、人間の人生にとって非常に重要なキーワードだ。全ての人間は、寝たい、食べたい、と考えるのと同じように、常に自己顕示したいと考えている。しかし、多くの人間にはそれを為すだけの力や資産がなく、一部の才能のある人間を除き、ほとんど誰もこの欲求を達成することができなかった。MMORPGはそこに救世主の如く現れ、何の才能もない人間でも、時間さえ消費すれば自己顕示が可能なシステムを与えた。結果、MMORPG はそういった層の人間を心を強く掴み、支配し、依存させ、「麻薬漬け」にした。

つまりそういうことではないか?

 辛口の意見である。
 時間をかければ強くなるMMORPGは、現実の社会から独立していて、プレイヤーの努力が実る世界なのでハマりやすい、という意見は今までにもあった。
 それを一歩推し進めて、自己顕示欲求につなげているところに、独創性が見受けられる。