想定

 前回(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20040116)の補足。
 遊学Ⅱ(遊学2)より ゲームの定義(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20031219)の続き

ゲームとはその思考の形態性を情報のやりとりに組み入れて、そこにルールとペナルティをもちこんだものである。このこと自体はルールブックを読むようなもの、ちっともおもしろくはない。「おもしろさ」は自立していない。ところがそこにAとBという“想定の持ち主”が加わると、俄然おもしろくなってくる。それは関係の記述をめぐる思考のシフトにかかわる問題なのである。

「ゲームにおいて、対戦者が、ある場面でどのように反応するのか」と考えることができるようになると、ゲームは面白くなる(かけひきができるようになる)。これと同じように、「物語において、登場人物が、ある場面でどのように反応するのか」と考えることができるようになれば、面白くなるのではないだろうか。
 そもそも「想定」は、「細部が全体を動かすという仕掛け」と蜜月の関係にあるのだろうと私は思っている。コマや登場人物が細部にあたり、それらの動きが指針になるのだろう。ルールとペナルティは、射程や行動可能範囲を示す。プレイヤー・読者に対してここまで説明すれば、あとは自由に想定してくれるだろう。
 物語の場合、主人公がうまくいきそうになったら、作者は想定されうるハプニングをタイミングよく混ぜていく。読者の予想をいい意味で裏切ることによって、読者の感情を作品の面白みが増す。物語の基本のひとつだ。
 ゲームブックはこの種の「隠されたゲーム」を意識的に取り入れたほうがいいような気がする。「死のワナの地下迷宮」において、最初のほうに分かれ道が出てくるのだが、どちらに何人の挑戦者が進んだか足跡から推察できるようになっていた。行った先で挑戦者の死体を目にすると、「きみ」はその死体を遠巻きに観察する。つまり自分以外の挑戦者は、指針を与えてくれるゲームのコマだったのだ。ゲームブックはこういうことができるので、「想定」の取り入れに向いていると思う。ひょっとしたら、ゲームブックに期待されている「ゲーム」とはこういう部分を指すのかもしれない。